赦すことによって愛しさを掴みにいく(怪しい) ~ 演劇教育ナレッジフォーラム2ndシーズン ~
Nov 27, 2021
2021年12月18日(土)20:00~22:30で、演劇教育ナレッジフォーラムをオンライン開催する。
今回のテーマは「コロナ禍の演劇教育、その後」。
申し込みは→こちら←
コロナ禍になり、人を集めることが難しくなった。
特に演劇教育は屋内活動であり、マスクをすると表情が見えないのできついし、差し向かいで喋ることも多々あり、身体接触まである。
私は演劇教育の定期現場を2つ持っていたが、いずれもスキップが続いた。
想定していたゴールから大幅な変更を余儀なくされたし、モチベーションも保ちづらかった。
その後、緊急事態宣言解除や感染者数が減少したということで現場は復活して受講者に会い、受講者が演劇教育の現場を楽しんでいることが感じられ、なんとありがたいことかと思った。
演劇教育は、「不要不急」かもしれない。
なくても生きられるし、緊急事態には停止させるという判断になりやすいものだと思う。
ただ、現場が復活して、受講者同士が関わり合って楽しんでいる姿を見ると、やってよかったなと思う。
スポーツにしろ囲碁や将棋などのゲームにしろ、他人と意思疎通をする活動である。
その中で演劇教育は意思疎通に重点を置いた活動であると思う。
孤独は辛い。
学校で、会社で、全員が自分の敵に思えたことはたくさんあるし、そんな時に限ってプライベートでもモメていたりする。
意思疎通が怖くなり、孤独になる。
コンビニの店員との意思疎通、道に迷っている人との意思疎通、そういうものが非常に愛しかったりする。
演劇教育は意思疎通に重点を置いた活動なので、上述した意味での愛しい瞬間は作れる。
ただ、意思疎通は楽しいことばかりではなく、自分や他人の嫌な一面も見てしまうことになる。
それを赦すことによって、愛しさを守れる。
演劇教育は、赦すことによって愛しさを掴みにいく活動、と言えるかもしれない。
あんまり観念的で綺麗な言葉で演劇教育を語りたくない。怪しくなるから。でも、今日のところは綺麗めの言葉としておく。
とか、私はこんなことを思っている。これをフォーラムでは発表しようと思う。
演劇教育ナレッジフォーラムの他の世話人たちもそれぞれ感じたことをシェアする予定。
そして、演劇教育を専門的に研究しているDingLiさんのプレゼンも聞ける。
オンラインが当たり前になり、便利になったことはたくさん。
辛い会議も画面の向こうなのでだいぶ楽になった。
自分の嫌な面も他人の嫌な面も見ずに済んでいる。
赦す必要なく、愛しさを掴みにいく必要もない。
それでいいのかね。いいんだけど。でもねえ、と思っている。
そういう話をしたい。
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