ダンスが繋いでくれた演劇

Apr 26, 2022

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写真はラテンシューズ。ヒールがあります。

大学院の2年間、競技ダンス部(いわゆる社交ダンスをする部活)に所属していました。そのとき買った靴です。

大学の最後の方、ミュージカルもやっていたのですが、まったくダンスを踊れず、悔しい思いをしていたため大学院ではダンスやるぞと思っていました(研究せぇ、、、)。
劇団に入った上で、ジャズダンスサークルと競技ダンス部にも入りました。 研究生活を含めすべてこなすのは無理、、、となり、泣く泣くジャズダンスを3か月で辞めました。(ジャズダンスサークルで経験したことも大きかったですが)

競技ダンス部2年間の集大成となる「ツバメ杯」という大会では、1回戦落ち。すごく弱いダンサーでした。
でも、しょうがないかな、という気持ちもありました。練習量としても、勝つために取った行動量としても、私は周りのレベルからは遅れを取っていたと自覚していました。
サボり癖が強いのに辞めることをしなかったのは、ダンスそのものの楽しさと仲間に恵まれたからです。
ツバメ杯の私のヒートを見た同期の一人から「悪くないじゃないですか」と心の底から言われたのをうれしい記憶として持ってます。(私は大学院から入部したのですでに年上なため同期から敬語を使われることもあった)

就職して激務になり、24時に閉まる銭湯になんとか飛び込めれば幸せ、という生活を送っていました。
でも何か芸事に関わっていたくて劇団だるいをやりつつ、近所のダンススタジオのグループレッスンに週1回通いました。
激務で行けない日も多々ありましたが、生きてることを実感できる貴重な時間でした。
そのころ私は25歳。グループレッスンの仲間たちは、もっとも年上で19歳とかで、だいたいは小中学生でした。
そこから15年。私も仲間たちも大人になり(私はもともと大人、、、)、そのうち1人は学校教員になりました。

一方、劇団だるいでは脚本公開をしています。→公開サイト

台本はいろんなところで使われているのですが、仲間が勤めている学校で私の台本が読まれたそうです。仲間が気づき、生徒や演劇部顧問に私を紹介したことによって縁がつながり、演劇部の外部講師を務めることになりました。

この経験によりさらに広がり、演劇部外部講師のコミュニティにも参加することができました。そのつながりで神奈川県の中高生演劇交流会のアシスタントに声をかけていただき、5月5日@溝の口、5月8日@横須賀でそれぞれ演劇部の交流会の場を作ることになりました。

ダンスをやっていたからこそ、続けていたからこそ縁がつながり、演劇も広がりました。

自分が好きなダンスと演劇が、こういう交わり方をするのが、うれしいです。

なんでもやってみるもんだなあ、続けてみるもんだなあ、と思いました。

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