不妊治療の体験談

Aug 12, 2020

第二子が生まれて1ヶ月以上経過した。
当たり前だが夜中も泣くし、おむつ替えようがミルクあげようが抱っこしようが泣き止まないこともあるし、不眠にもなるし、まあきびしい。
でも、目の前に自分の子供がいると本能的に対応する力がはたらく。
かわいい、という感情の一歩手前にすでに動機があるような。本能に近いんだろう。

今日は、第二子出産までのことを少し書いておきます。主に、男性の不妊治療の話です。
少々、生々しいことも書きますし、男性視点で不妊について言及するのでそういうのが嫌いな人はぜひ、すぐさまこのページを閉じてください。

将来結婚し子供を授かりたいと考えている男性、また、現在結婚をしていてそろそろ家族計画を考えていこうと思っている夫婦、子供は自然にできるもんだろと考えている男性などに特に読んでもらいたくて書いています。

結論

夫婦で妊娠を考えていて、何らかの不安があるならすぐさま病院に行った方がいいと思う、ということです。

不妊治療を体験してみて、男性の不妊治療はまだまだメジャーじゃないのかなと思いました。病院によっては男性の不妊治療そのものに非協力的な印象があったし、症例が少なくて研究が進まないということも「数」が少ないのかなと思いました。

ただ、専門的な病院もあるので、そこに当たるまでいくつも病院に行ってみるのがよいと思いました(後述しますが、病院のホームページだけじゃ当てられませんでした)。

私は、なんか変だなと感じ始めた(内容は次のセクションに書いてます)のが2018年1月ごろで、病院に行き始めたのが2018年6月。妊娠発覚が2019年10月ごろ。
病院に行き始めてから1年4ヶ月かかりました。

以下、詳しく書きます。

病院に行こうと思うまで

2015年、第一子が生まれ、そこそこ重度の食物アレルギー持ちだが、元気に育ってきた。
数年経ち、第二子も欲しいというのは夫婦間で一致していた。

だが、それが2018年1月ごろ、私は不安を感じ始めた。
というのは、男性的自家発電事業の出来高が、少ないのだ。要は精液量が、目に見えて減少していたのだ。

これは、もしかしたら合体奥義ベイビージェネレーションを発動させるには、自分の力は不足しているのでは、と不安だった。合体奥義ベイビージェネレーションとは、まず身を清め、気分を高め、二人で向き合い、(略)。つまり、妊娠確率が低いのではないか、と不安だった。

ここから、私は不妊治療の病院を3つ行くことになる。

不安に思ってからすぐ、病院に行くという行動ができたのは、「中国嫁日記」4巻を読んでいたからだと思う。

中国嫁日記(4) [ 井上純一 ]

ここでは、男性の不妊治療への動機や背景、経過が個人の体験として、漫画として、しかもおもしろく書かれているのでおすすめです。男性が読むと共感しやすいと思います。
これを読んだのは数年前だが、心のどこかに「不妊治療は早めの行動」というのが残っていた。 「男性 不妊治療」などのキーワードで検索し、いくつもの病院を比較。ホームページがしっかりしていて、なるべく近所の病院を予約した。

病院1軒目

自転車でなんとか行ける距離にある病院だった。妊娠に向かう大きな一歩だ、と自分では思っていた。実際は大きな一歩だと思うが、体感としてはしんどい思いもした。

病院に行ったら、個室を案内された。中から鍵がかけられる、私の出来高を採取するための部屋。やりづらい。本棚にはあれこれの本とDVD。けっこう古くて手アカがついている。いやだ。私はスマホを取り出し、自家発電事業をやってのけた。
採取したものを検査した後、診断してもらう。
診察室に行った。院長である医師は、だいぶ年配の男性だった。

医師「あ、これはダメ」
私「えっ」
医師「少ない。これでは妊娠しない」
私「あの、その場合、どうしたら」
医師「どうもできない。無理」
私「えっと、何か食事とか薬と」
医師「無・理」

さっさと帰れ、という態度だった。
なぜ少ないのか、何がまずいのか、どうしたらいいのか、何の説明もなく、質問すら受け付ける気がない。

話にならない、と思い、診察室を出た。
待合室には女性患者が10人ぐらいいたと思う。医師に「男は帰れ」と言われたような気分なこともあり、会計待ちの時間が、なんだか居づらかった。正直、心が折れた。

帰りの自転車はしんどかった。なんだ、病院に行くっていうのが間違いだったのか。無理なのか。無理、という言葉は重いぞ。胸に穴が空いた。穴の分、体重は軽くなったはずなのに足が重いわ。

帰宅し、妻と話した。
絶望感を妻にひたすら伝えてもな、、、と、カッコつけ根性でなんとかポジティブに「次いってみるさ」とウエスタン映画で撃たれて胸から血が流れていることを隠すガンマンのようにカラ元気を出した。カラ元気も元気だ。

別の病院を探し、数日後、行ってみた。

病院2軒目

こんどは若い男性の医師だった。
いろいろ検査して、診察。

医師「うーん、、、T&B(ティンコ&ボール)に異常はなさそうなんですよね」

よかった、今度は話が通じそうだ。

医師「これはちょっと、よくわからないですね」

えっ。

医師「男性の不妊治療は、症例が少ないので、研究があんまり進んでいないんです」

手の打ちようがないのか、病院を変えてみてもしょうがなかったのか、と一瞬思ったが、

医師「これは、うちで対応してみてもいいのですが、もっと専門的なところがいいのではと思うのですが」

ポジティブな医師でありがたかった。医師はすぐさま紹介状をくれた。撃たれて血を流す俺に、「おまえの言いたいことは分かってるさ」と酒場のマドンナへの恋文を懐から出してくる相棒のようだ。なんでお前が手紙持ってるんだ。

病院3軒目、初診

そして数日後、3軒目の病院に行った。
また個室に案内された。中から鍵がかけられる、自家発電の出来高を採取するための部屋。本棚には古い本やDVD。やりづらい。
しかし私は前回の教訓を活かし、情報を詰め込んだタブレットを持参していた。主な内容は(略)。

一口メモ:個室は電波が悪い場合があるので、オンラインだとアレなことがあります。

タブレットを活用し、出来高を採取した。検査して、診察。

おっちゃん医師だった。水曜どうでしょうの藤村Dみたいな感じ。

医師「どうもどうも。さて、やっていきましょうか」

超安心する。藤村Dだ。

医師ふじむら(という名前なわけではない)「妊娠に必要な要素として、精子数、精液量、運動率という指標があります」

ほう。

医師ふじむら「中野さんは、精子数と運動率がギリギリOK、精液量が少ないです」

わかりやすい。

医師ふじむら「で、これは、原因も対処法もはっきりしていません。症例が少ないので、研究が進んでいないためです」

2軒目の医師と同じ展開。

医師ふじむら「ですので、とにかくいろいろやってみる、という対応になります。まずは健康状態を詳しくチェックしたいので、採血しましょう」

ここで展開が変わる。さすが医師ふじむら。ありがとう2軒目の先生。

帰り際、採血の予約をした。

検査、治療開始

数日後、採血、さらに数日後、診察。

医師ふじむら「健康ですね」

うーーーん、、、、

医師ふじむら「強いて言えば、強いて言えばですが血中の亜鉛濃度がわずかに低いです。亜鉛と精液には関係がありますので、亜鉛サプリを処方しますので、飲んでみてください」

これが2018年11月。ここから約1年、亜鉛サプリ(軽めの胃薬だが、亜鉛サプリとしても使えるという代物らしい)を飲み続けることになる。
毎月受診。そのたび、仕事を休まねばならない。
正直、会社を休職しようかとも思った。休職して筋トレ三昧の生活をしようかと。
というのは、運動不足による体力低下も著しかったので、それが原因なのでは、と勝手に思っていたからである。
医師ふじむらの見解は「わからない」だったので踏み切れなかったし、結果的には第二子妊娠・出産して問題解決しているわけだが、踏み切ってもよかったのかもしれない。

2018年12月。

医師ふじむら「わずかですが、わずかですが改善が見られます。サプリ効いたのかもしれません。奥義発動の可能性はあります」

2019年1月あたりから、タイミング法を試し続けた。妻と日程・予定を計算し、前日までに爪を切り(当日だと鋭さが残るので)、第一子を早めに寝かせ、と準備万端で行ったが、発動しなかった。
毎月、医師ふじむらに通い、結果を報告。私のTP(ティンコパワー)にも、劇的な改善はない。奥義発動の可能性ありだが、じゅうぶんすぎるTPというわけではないという状態が続く。

人工授精トライ

医師ふじむら「人工授精という手もあります」

けっこう初期から、選択肢としては提示されていた。そして、タイミング法でも成功(せいこう)しなければ試そう、ということにしていた。妻とは相談してきたが、あらためて相談の上、人工授精トライします、という意向を伝えた。

まずは、妻も同じ病院で診てもらう。
医師ふじむらは男性不妊専門の医師だったので、別の医師。
そこで、一度、人工授精も試してみようということになった。

人工授精を試そう、といっても、すぐにできるわけではない。

  • 事前採血検査(感染症にかかってないかどうか。うちは、病院ではなく、別の機関で実施)
  • 病院での検査
  • 人工授精実施

という流れ。
これらすべてに調整・予約が必要なので、今日明日でできることではなく、数か月単位での計画が必要。
人工授精を考えるぐらいなので、妊娠のニーズが高い状態での数か月の待ちはけっこうしんどい。
それぞれ仕事も調整しないといけないし、採血も1万円ぐらいかかるので、費用面での負担もある。

それでも、粛々とひとつずつこなしていって、人工授精をとうとう試すことができた。

しかし、結果は不発だった。

時間、お金、肉体、精神のコストが、それなりにかかっていたので、妻も私もガックリとした。これでもダメか、、、と。

妻の手術

診察していて、そこそこの大きさのポリープが子宮内にあることがわかっていた。

私が波動砲を撃ったとしてもポリープで止まってしまい、その先に行けないおそれがある、ということだった。

妻と話した。タイミング法も人工授精も不発だったので、やれることはやろう、と決めた。
ポリープ除去手術の検討を始める。2019年4月に決断。
これも今日明日でできることではないので、また調整・予約が必要になってくる。
結局、手術実施は8月という方針に。検討してから4か月もかかるのだ。

除去手術の方針を固め始める傍ら、タイミング波動砲も撃ってみるが、成功せず。そして2019年8月となった。
部分麻酔か全身麻酔か、いずれかでの手術。
全身麻酔が選択肢に入ってくるということで正直ビビる。重い手術なのか、と。麻酔に失敗したらどうしよう、とか考えるが、その確率は極めて低いと自分の中で恐怖を押さえつけ、せめて表面上だけでも努めて冷静にふるまい、選択肢を妻と検討。ガンマンのマネをしてきてよかったと思う。
全身麻酔での手術を決断した。手術の精神的負担を重視したからだ。

さらに、手術の翌日に引越し、翌々日に芝居出演という非常にあわただしいタイミングとなってしまった。
会社仕事も、演劇も、引っ越しも、手術も、、、
引越しもかなり計画しての実施だったので、中止もできない。
本当にあわただしい中、手術当日となった。

病院の衣服に着替えた妻、ガラガラと廊下を通るストレッチャー、なんだか不安になってくるが、無事成功。

麻酔も予定通り抜けて、予定通り退院。
そして引っ越し、出演。
ギリギリで乗り切った8月だった。

妊娠

そして、2019年10月。波動砲が命中。合体奥義が発動した。
検査で陽性が出たと妻から聞き、ほんとうによかったと思った。
これまでやってきた積み重ね、特に妻は手術までして備えた結果が出た。妻からの、ようやくやったぞ、というオーラを感じ、安堵で自分の魂が薄くなったような気分だった。外から私を見ると、輪郭がぼやけていたに違いない。
まずは安堵し、同時に妻が妊娠中の生活や出産というリスクの高い状態になっていることを感じた。輪郭をとりもどし、気を引き締めた。

2019年11月、大学病院の定期診察に行き、結果を報告。
医師ふじむらとガッチリ握手した。

医師ふじむら「それでは、卒業ということで。おめでとうございます」

医師ふじむらのところに通ったのは12回、11ヶ月。TP(ティンコパワー)が劇的に改善したわけではないが、なんとか卒業となった。
この直前、男性不妊のデータを複数の病院で共有してもよいか、という覚書にサインをしていた。 正直、時間的・金銭的コストがけっこうかかるし、男性の場合は研究が進んでいないということで私も不安な思いをしたので、いくらでもデータを活用してほしいと思った。
その直後に私は卒業となってしまった。
私の、いままでのデータが活きるといいな。
そして、医師ふじむらと話すのは楽しかったので、もう会えないというのは寂しいな。(会えないわけではないが)

振り返り

結果として、何が効果があったのか分からない。
ひょっとしたら、何も対策しなくても合体奥義が発動したのかもしれない。
でも、対策しなければ何も起こらなかったかもしれない。

病院に行こう、と決断し、行動できたのは中国嫁日記のおかげが大きい。そして、病院受診したことで、自分のTP(ティンコパワー)に問題があることが明確に分かり、治療への意識が確立した。

こう言うと「主体性がない」と言われそうだが、妻と仲良くやっていきたいという思いがあるため、妻を悲しませるような行為は避けたい(正直言うと、妻を悲しませることによって夫婦生活がつらいものになるという、自衛の気持ちも大きいんですが)。

妊娠について、私が先んじて病院に行くことで、妻への安心感を与えたい、という気持ちが根底にあった。結果として実際に問題があり、それを解決したことで妊娠成功したと見ることができる。

11か月、モチベーションを維持しつづけるのは大変だと思う。ほかにもやらないといけないことはたくさんある。その中で、「定期的に病院に行く」という行動を入れることで、その時間は不妊治療に集中すると決められた。もちろん、仕事の調整が大変な時もあったが、実際に身を病院に置くことで、意識を過剰に仕事に持っていかれないようにすることができたように思う。

妊娠はよかった。ひと段落である。一方で、それだけで万々歳ではなく、妊娠中の生活(妻はつわりがひどかった)や出産、育児など気が抜けない状態が続くのだが、本記事は妊娠するまでをまず記録した。

とにかく、現在、子供が生まれて、大変ながらも安堵している。


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