13歳の披露ワーク

Jan 9, 2020

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1月9日に生放送されたインターネットラジオに出演していました。
自分でぜんぶ見て、ようやく自分の中で振り返れたので記事にします。

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この番組は 「毎回さまざまな起業家や社会人をゲストに迎え、今の仕事から13歳当時の自分を振り返ってもらい、今を生きる子供たちに未来の働き方を等身大でイメージしてもらうため、エンタメ教育番組でございます」 という説明が毎回行われる。
ということで、私の現在から、だんだん過去へ遡って話をしていく、というスタイルでインタビューを受け続けるという形式。

子供の時の、将来への不安みたいなものは常にあった。
道から外れると、悲惨な人生が待っている、みたいな緊張感。
そのおかげで今の私があるわけだが、道を外すという選択肢をもう少し柔軟に考えられていたら、と振り返ることもある。
出演させてもらって、本当にうれしい。
私の経験が助けになるかわからないが、なればいいと思うし。

この番組にはPVもある。そこには「立派な子供じゃないと、立派な大人になれませんか」というフレーズが出てくる。
これ、たしかに子供の頃、よく思った。
自分は大した人間ではないので、きっと大した人間にならないだろう、と思って生きていた。
今では、自分をやや過大評価するぐらいで落ち着いている気がするが、子供時代から今まで、過小評価の時代の方が圧倒的に長かったように思う。

立派な子供ってなんだ。成績優秀でスポーツ万能で友達100人、みたいなものか。それって楽しいのか。楽しかったらいいか。

でもそれにあこがれ、見栄を張りまくり、なんだかキラキラした人たちのコミュニティに関われるだけで自分が大成功した人間のような気がした。
それはそれで楽しいのだが、自分がどれだけのことに必死になれて、力を注げるかが本当に重要だなと、あとになって思う。でも、それを見つける前に周りとうまくやっていかないと暮らしていけない。周りとうまくやってると自分のことで必死になるのを忘れるし。そもそも、周りとうまくやれれば満足であって、自分がやりたいことを意識することすら、発想の外にあった。ああ、どうすればいい。

いろんな経験、ビジネス研修、演劇などを通じて、何がどれだけやりたいの、ということが明白になってきた。
テレビや伝記で偉人を見るたび、その人に比べ、何がどれだけやりたいの、というのがそんなにないこともわかった。
だから自分に価値がないというわけではなくて、自分が何をもっているか、何を楽しんでいるかを認識できればよいと思う。

とかなんとか、そういう思いがちゃんと現れているかどうか微妙なところだった。
そして、大してかっこいいことを放送中に言えたわけでもないし、もしかしたら間違ったことを言っているかもしれない。
ラストなんか、熱くなりすぎて音が割れている。
でも、これを見て、良かったよと言ってくれる人もいる。

本当にいい機会をいただいた。
これ以上はぜったいかっこよくないし、これより私はかっこわるいです。
私のカッコ悪さの片鱗を見ていただければと思います。

約1時間の放送。私の出番は10分経過後ぐらいからの50分間。

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