観劇:地大さん家の150年+

May 6, 2019

なぜこんなにおもしろいのか。
自分の公演中だが、自分はダブルキャストのため休演日があるため、観に行った。

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結婚の申し込みをしにきたカップルと、女性の両親の合計4名のシーンから始まる。
女の母親は、男に、家柄を教えて欲しいという。
男は答えられない。知らないからだ。
だからカップルは、どういう家だったのかを調べるために、先祖が住んでいたという北海道に向かう。
そこで、150年に渡る歴史を知ることになる。
その歴史は、特段日本を変えるようなものではなく、普通の人が一生懸命生きてきた話。
その話を女の両親に伝え、無事に結婚の許しをもらう。そして、次の世代が走り始める。
150年の歴史と、次の世代の少々を2時間弱で駆け抜ける、そんな芝居だった。

この劇団には「型」がある。
セリフは基本、客面にしか話さない。話さないときのみ、共演者の方を向いてよい。
そして、ひたすら動く。前にも書いたが、以前この劇団に出演した時、あまりにも毎回同じところで立ちくらみを起こすため、運動量を緩めてもらうようお願いしたことがある。屈辱であった。
ともかく、ついていけないほどの運動量が2時間続くのである。

自然、役者の意識は動きに行く。
それが「うまくやってやろう」という飾りを取り払い、ただの一生懸命な人間となる。自由になる。
私が即興において心幹を鍛えることで実現しようとしていることを、型で実現している劇団だなと思う。
もともと身体能力のある役者たちが、その限界を突破させられ、より魅力的な人たちになる。

ストーリーとしては、主宰ゴロさんの得意分野だと思う。
時系列で人生を駆け抜ける、というスタイルは彼の生きることへの姿勢が表れているように思う。
終わった後には、今ここに我々がいるのは、祖先の数えきれないほどの苦労と愛と悲しみによってできているのだ、と感じた。
観劇後、しばらく動けなかった。

私は父親を2年前になくしている。
父方の祖父は会ったことがない。私が生まれたときにはもう亡くなっていたから。
父親から祖父の話は少し聞いたことがある。
箸の持ち方に厳しかった。いたずらをすると寒空に放り出された。厳しい人だったそうだ。

父親はそれを受け継ごうとしていたが、同じことはしなかった。
髪を染めるな、好きなことをやれ、でも責任は自分で取れ。
俺は家族のためにがんばっている。好きなことも我慢する。
好きなことをやれと言いながらも、堅実な、リスクの低い人生を望んでいるということは伝わってきた。
技術者は、相当頭がよくないとできないぞ。
自分が何かを売るなら、まずは自分を信用してもらえ。
俺たちが小さいころは、食べるものにも苦労した。くず鉄を拾って製鉄所に持って行き、金を稼いでいた。淀川河口付近でしじみをとって夕食にしていた。
大学はほぼ行かず、ずっと山でキャンプしていた。米と味噌だけ持って行って、魚を釣って生活していた。
体だけは大切にしろ。
家族を一番に考えろ。

先週、三回忌のため福井に行った。
そんな言葉のひとつひとつを思い出すことはなく、ただ、「好きなようにやらせてもらってます」と墓前で報告して帰ってきた。

この芝居を観てから行けば、もっと父親との、祖先とのことを考えることができたんだろうと思う。
いろんな後悔もある。
でもclose your back door。前に進むしかない。

今日も本番。
好きなようにやらせてもらってます、という日になると思う。