演劇はもっと社会を優しく強くできる

Feb 15, 2019

あくとの活動に出席してきた。

あくとは、社会課題を考えるために演劇を活用するという早稲田大学の団体。
2017年10月に、「他者になる」というワークショップの運営側として私は参加していた。
(私は早稲田の学生でもなんでもないのだが、知り合いの学生が参加してたので臆面もなくねじ込んでくれとお願いしてしまった。周りは学生で俺ひとりなんか変な感じだったぜ!)


<過去の活動>

ワボプロ活動紹介 actあくと~他者の支えになる演劇プロジェクト

早大卒業生ら設立「あくと」 すれちがい「演技」で解決(毎日新聞2017年11月7日東京夕刊)


その団体の重要イベントである舘ヶ丘団地での発表会に出席してきた。

早稲田大学の大学生をメインとした運営側が、団地の住民とともに行うワークショップ。
学生が、正解のない社会課題について、自分が実際に目撃した例をもとに再現演劇を作る。
これに対して演じた側・観客側から課題認識や解決についてディスカッションする、という手法。

振り返り会で感じたのは、参加者が社会課題に「当事者感」を抱いたこと。
文字にされた社会課題は、自分と関連があるようで、でもどこか他人事だったりする。そして、「誰が悪いのか」「いちばん悪かった人間を正してやれば問題は解決する」という思考になり、その思考に沿って解決すると「解決済み」となり忘れ去られる。
しかし、目の前でそのシーンを、ビデオではなく生身の人間が再現することによって「人間が起こした、誰も間違っていない所業」であると印象付けられる。
さらに、いったんその再現と議論が終わると、観客から希望者を募り、再現演劇をリプレイする。
これが、この手法のすごいところで、観客が演じることによって、どこか他人事の社会課題が「誰に降りかかってもおかしくない」と急激に身近になる。

今日見たシーンのひとつは、ひとりの高齢の女性が団地の食堂にやってくる場面だった。
女性は弁当を買いに来るが弁当は無いと言われ、惣菜もないと言われ、コーヒーでも飲もうかと思ったらそのサービスもなく、喫茶室に連れて行かれそうになる。そこで、お茶だけなら出せるということで席に着くが、居心地が悪そうに出て行ってしまう。

ここで、いったい誰が悪いのか、という議論にすぐにならずに、どんな気持ちだったんだろうかという共感から議論が入って行くところに感動した。
結局、悪い人捜しは行われず、「じゃあどうすればもっと気持ちのいいシーンになったのか」という希望への議論や理想的なシーンの試行までが行われた。
ファシリテーターがうまかったのもあるだろうが、強引に誘導したわけではなく、住民側からの意見によって課題考察が進んで行くところが、本当にいい活動だなと思った。

この活動は5年目だそう。演劇のワークショップ・発表会もあるのだが、学生が住民を戸別訪問したり、食事のイベントを開いたり、大雪の日は雪かきをやったり、ともかく住民と時間をかけて触れ合った上で演劇に入る、という仕組みだった。
非常に参考になると思った。
演劇は、おもしろいものを作って、見せて喜んでもらってお金をもらう、というのがひとつのサイクル。そこに、観客との距離感を縮めることから始まるという、興味深いモデルを見た気がする。

演劇はもっと社会を優しく強くできる、という可能性を見たと思った。