出演・演出しました。ハネゴコロ第2回公演
Mar 31, 2025
終演しました。
いやー、長かった。
顔合わせをしたのが2024年6月。公演日は2025年3月。
実に9ヶ月の長丁場。
稽古が始まったのは11月だけど、それでも5ヶ月の稽古。
そう言えば、参加決定して動き始めたのは2月だった。1年以上やっとるやないかい。
長かった。
総括。まずは良かったこと。
- やり切れて良かった。運が良かった。
- 演劇技術者として役者・演出として呼ばれたのはよかった。
- 体制、人脈が良かった(家庭も含む)
- インプロ(クラウン含む)の経験が助けてくれた
- メンタル不調の状態でどうするか、という経験が助けてくれた
よろしくなかったこと。
- 体力(毎回ですが・・・まあまだマシか)
- 演劇以外の要素による不調(要は仕事が大変だったという話)
- 直近のインプット量(演劇を勉強し続けとるんか?)
- リスクテイク(いや、いいバランスだとは思うが、まだ攻めれたのではと)
- 苦しさが前面に出ていたかもしれない
という総括です。以下、長い振り返り。気合の一万文字。書いてる時間は3時間とかだけど、その3時間を生み出すのに1か月かかってしまった。
いやもう、無事に公演できたし、複数の人から「安すぎるよ」と評価をいただいたのは大きいです。 誰も致命的なケガ・病気がなく、本番を迎えられたのは幸運でした。私も自分が走り切れたのは、途中での大きな不調もありつつ、関わってくれた人に本当に助けられました。 まあ、芝居で大きな責任がありつつ仕事も大変で心がだいぶ死んでいたのですが、インプロ(クラウン含む)で経験して来たことが、自分を不必要に低く評価せず、お客様にエンターテインメントを提供できた揺るぎない土台であったことは良かったかなと思います。 心が死んでても、じゃあそこで何ができるの? と現実路線で考えられたのは、メンタル不調をある程度経験してきたからこそできたのかなと思います。 いや、これ、比べたらいけないし、比べようもないのですが、もっと大変な人たちがいるなあとも思ってます。 思ってますが、私も社会生活が送れなくなるほどにメンタルがよろしくない時代を過ごしたということで、その経験が、「じゃあどうするの?」に繋げられたのは良かったと思います。
一方で・・・
もっとやれただろ、というのはあります。演技としても、アクティングコーチとしても、団体運営の助言ができる人としても。 いやもう、とにかく仕事がきつかった。たぶん、仕事の関係者は、私が何を大変に思っていたか理解できないと思いますが、まあきつかったです。 理解されるだけの大変さを伝えられない、伝えたとしても価値観が違いすぎて分かってもらえないことがほとんどなので、社会人としてパッとがんばれてないのはあるんだよな・・・
でもその中でもちゃんとやれたのは良かったです。
それでは、序盤から順番に振り返っていこうと思います。
2024年2月 参加決定
早すぎる。いや、まあ、そんなものなのか。
前回公演が終わってから2週間後に打診があり、さらにその2週間後に飲み屋で出演が決定した。
ポジションは「演出・役者」。
前回公演では「役者」だったが、役としてもアクティングコーチ的な振る舞いとしても、本当にいい経験をさせてもらったので、いい話だと思いました。またいい経験ができるのでは、と。なんだか責任範囲が前よりも広そうだぞ、と懸念したけど、ここまで重要なポジションで雇われることはなかったので、新しい経験になると思いました。
あと、私はハネゴコロがいい感じに活動できることが地域の、日本のためになると思っているので、それもあってオファーを受け入れました。
2024年3月〜5月 体制構築
OKしたものの、自分だけではとてもやりたいことができそうにないと思いました。
演出と言っても、アクティングコーチにだいぶ寄ったものですが、最初からその責任を負った状態で出演までできるわけがない。
ということでリクルーティングをはじめました。
くらげ・はるかに打診。
役として、私の子ども役2名の見通しが立っていなかったことがあります。あと、くらげ・はるかならぜったい助けてくれるし、すごく実力があるし、来てくれたらいいなと思っていました。
では逆に、くらげ・はるかに何を提供できるのか?
これから役者としてキャリアを積んでいくにあたって、貢献できることはないか? 考えました。だって大物プロデューサーとかが来てくれる感じじゃないんだもの。まあ大物プロデューサーはともかくとして、なんか、プラスになることはないか。
「指導経験」を積めるのが最も大きなメリットではないかなと思いました。どんな立場でも、たとえ序列が最も低いポジションでもリーダーシップは発揮できると思っていますが、リーダーシップとはまた別の「リーダー」役を任せられるし、その経験を積んで欲しいと思ってました。
ここで恐ろしい話で、アクティングコーチ的なポジションの経験があまりないだろう、と思い込んでいたことですね。結果的に予想はそんなに外れてはいなかったのですが、思い込みは本当に良くない。もっとちゃんと会話すべきだったなと思います。
ともかく、なんやかや会話・交渉して、お二人が参加してくれることになりました。
全て終わってみて、この時点で俺はかなりいい仕事したんだなと思います。役者、作品、SNS運用、俺のメンタルケア(すいません)、などなど、本当に激烈素晴らしい貢献をしてもらえました。借りが・・・まあ、それは、今後、返していきます。
こぼれ話ですが、はるか・くらげと出会った時は、私は同じ座組のアクティングコーチっぽいポジションにいました。その時、俺はかなり偉そうなことを言ってたと思います。そして、共演することになり、「やべえ、俺がそんなにすごくないことがバレてしまう」と不安でした。たぶんバレました。同年代の役者には「そんなことを気にするなんて、あなたは人間が小さいね」と言われました。そうです。
2024年6月 顔合わせ
顔合わせは、家庭のやんごとなき事情によりオンライン参加。飲み会もあったようなので、とても行きたかった・・・
2024年7月から8月 戦争に関するディスカッション
戦争を扱うということで、気軽にはできないぞ、という雰囲気が全員から感じ取れました。不安を感じました。
ということで、稽古もまだ先ではあるのですが、まずは戦争についてみんながどう考えているのかを共有する会を設けました。
時代背景に関する意識共有ができたので、良かったのではないかと思います。この意識共有を、稽古の佳境でやるとなると練習時間が大変なことになる、と思ってこの時点で実施しました。
2024年9月から10月 台本
私自身はハネゴコロのことはあまりやってませんでした。ワークショップやったり、神戸や東京で本番やったり、色々やらせていただきました。
しかし木暮さんは台本を書き続けていた。台本を書くというのは大変なこと。よろしくお願いします、しか言えなかった。
2024年11月から12月 稽古開始
台本が上がり、いよいよ稽古始動。
読み合わせ、配役決定、シアターゲームなど。
言いづらいセリフがあった場合はどうやって言えばいいか、とか。
私が海外出張に行ってる間は衣装、美術などの打ち合わせがあったよう。(座組のグループウェアを見ればだいたいやってることがわかってしまう)
そして、私が導入したかった「ディバイジング」を、レゴさんに来てもらってやってもらいました。稽古が煮詰まってくると「どうすればいいのか」と思考停止に陥ることがありそうだと予想しました。これも、稽古の佳境でこうなるととても大変なので、先に手を打っておきたかった。
ディバイジングはそれぞれが責任を分担するし、「議論はあと。まずはやってみる」という精神があるので、思考停止に陥りづらいと思ったから。
レゴさんのおかげで、まずはワークショップを楽しんでもらえたと思うし、ディバイジングの精神に触れられたのはよかったと思います。比較実験ができないので分かりませんが、「みんなでつくる」ができた現場だったのではと思っています。
そして・・・年末に悪夢の足音が聞こえ始める。
会社の仕事・チームが1月から変わる、とのこと。
会社勤めしている以上、異動はよくあることだが、1月というのは異例。
そして、仕事内容も慣れないものだし、チームも新しくなるので、ついていくのが大変なことが予想される。
でも本番日は変わらないし稽古日が少なくなるわけでもない。
どうなるか、と思いながら年末。
台本をブラッシュアップする作業に、私も関わらせてもらった。
書いた台本を他の人に手を入れられるというのはなかなか辛いものだ。
私も書いて、周りの作家陣に8割削られ、また書いて、6割削られ、また書いて、で完本したことがある。あれは辛かった。家では書けなくて、謎に遠くに行く電車に乗って、書いていた。黒磯、本千葉、浦賀、久里浜など。色々行った。電車に乗っただけだが。
(→その台本)
そして、今回は私が「周りの作家陣」の立場。
苦しさも分かりつつ、色々と提言させてもらった。
いくつかは採用され、台本が一部、改訂されることになった。
2025年1月 体力の限界
新年早々、仕事がかなりきつい。
会社からすると何がきついのか理解できないとは思うが、こうね、「最低限これぐらいはやってくれ」という「最低限」が命令を受けた者の最大限を突破しているというのはよくあることで。かなり無理をして仕事をした。辛くて仕事ができなくなる時間も多くあり、それがまた仕事を大変にした。
保育園オヤジ会会長として、餅つき大会の最高責任者をやっていたというのもある。
役者、アクティングコーチ、演出助手という役割もあり、稽古やその準備も大変。
家族にもかなりの負担をかけたと思う。
だが、公演2ヶ月前、つまり1月中旬に必ず通し稽古はしておきたかった。そうしないと「通るかどうかよくわからないもの」を稽古していくことになり、見通しが立たないからだ。
餅つき大会の翌日、とにかく通し稽古を強行。
ボロボロの通しではあったけど、通った。よし、これで公演ができる。
ここで緊張の糸が切れた。
一気に体調が悪くなり、なのに眠れなくなった。
非常によろしくないサインであるし、一日二日で回復するものではない。
まずい。
とりあえず1週間、稽古のお休みをいただくようお願いした。
休まないといけないの? 気のせいだよ。1日じゃダメなの? あと、1週間で回復するの? なんでそう言い切れるの? 保証してくれるの? その根拠は?
などと自分が質問してくる。何度も、何度も。
だが、その声に従うとさらに自分を追い込んで、より悪い状況になった経験が何度もあるので、心を鬼にして休みをお願いした。
演出の木暮さん、主宰のゆうぎりさんは快くOKを出してくれた。
ありがたく、休ませてもらった。
しかし回復しないままに、翌週の稽古はやってくる。
心の声が「せめて1日でも行けよ」と言ってくる。
なので「1日だけでも行きます」と言う。
しかし稽古前日、病院で、検査でなぜかポリープが見つかり、その場で切除(いちおう手術に該当するらしい)。
翌日から動けなくもないのだが、激しい運動は禁じるとのこと。
「すいません、今週も休ませてください」と、手術の影響もあって、言えた。
これは大きかったと思う。心の声に従ってたらまずかった。
あれは心の声じゃなく、頭の検閲官だったんだと、後でわかる。まだまだ分かっていなかった。
ともかく、私が休んでいる間、誰が稽古場をリードするのかと心配だったが、晴伽が縦横無尽の大活躍をしていたそうだ。
結局、ここからアクティングコーチ的なところは大部分を晴伽とくらげに任せることになる。
2025年2月 稽古復帰
体調不良のピークは超えたかもしれないが、依然としてあまりよろしくない。
二つのことだけ決めた。
・本番は出る
・稽古は行く
いや、当たり前すぎて当たり前なことでしかないけど、それでもこれが精一杯だった。
おそらく自分のことだ。その場に行けばオートマチックに貢献して行けると思うし、その場に行く間にさまざまな計画は練れるし、事後作業も可能ということにした。
結果的にいろいろ家で作業することになるのだが、まずはその「決め」が重要だったと思う。
まずは行動を決めたから、あとからモチベーションがついてくる、みたいなことだったんだろう。
さて、稽古。
2週間のブランクもあるし気力も体力も充実していない。
が、ゆっくり見ていられる余裕はもちろんない。
そりゃ、少なくとも私の役の関連で確認したいことはいっぱいあるよね・・・ずっと動き通しの復帰初日でした。
休んだことを咎められるわけでもなく、あたたかく迎えていただき、頼っていただき、使っていただき、本当にありがたいことです。
いろいろ計算して休んだことは最善の行動だったと思うものの、休まなくてずっと元気であることに勝るものはなく、体力や体調管理、ストレス耐性(これは半ば、あきらめているが)、マインドセットの訓練など、足りてないことがあったことには変わりはない。
ということでギャラの減額もやむなしと思っていたし、その気持ちも伝えたのだが、満額いただけたのは行動面・貢献面で大きなマイナスではなかったということだろうと思う。ありがたいことです。
演じること、役のことへの戸惑いや突破を繰り返す役者たちを見ていて、すごいな、ありがたいなと思う。
欲を言えば、もっともっとラクに突破をしてもらうように立ちまわれればよかったと思う。
私が見てきた素晴らしいアクティングコーチ(という立場に限らないが、アクティングに関するコーチングが優れている人たち)は、もっとすごかった。
役者に苦しさを与えず、とはいえ課題と負担は与え、トライして失敗してリトライして解決するというプロセスを魔法のように操っていたように思う。
そんな人になりたいなと思いつつ、私もトライし、この現場でも何度も失敗しました。
でもうまくいったこともあったし、コーチングに優れている人(主にはるか)に場を任せてしまうという采配も含めて光っていたのではないかと自画自賛します。
稽古の計画もかなり効率よく練れたと思ってます。完璧ではないにしろ、解放できる人はどんどん解放できた。頭を使ってやったけど、もうこういうの、AIにやってもらえばよかったかなと思ったり。
解放OKの人も自主的に残って練習してくれたりして、ありがたかった。
自分の芝居としては、全然時間を取れなかったし、取れないだろうなと思っていた。
演出の要求を理解できたりできなかったり。自分の身で体現できたりできなかったり。
まあ、いつも通りではあるのですが、時間をかけられなかったというのはある。
とはいえ、「自分はできてない」と自分を罰するのは違うなと思ったし、そうしたところで芝居が良くなるわけでもない。
できたこと、楽しめたことを自分も周りについてもいちいち拾って、我々は良い時間を過ごしているのだということを自覚的にした。
そりゃ、細かいことを言えば、私も周りもセリフを間違えたりハケを間違えたり遅刻したり集中力がなかったり、そりゃ色々あるけど、「それを懲罰的な雰囲気で指摘して芝居が良くなるのか」「芝居が楽しくなるのか」「これからも芝居をやりたいと思えるのか」などなど考え、自分の中で最適なファシリテーションやコーチングをできたと思う。
つまり、こだわったところは「役者の心を守る」だったんだと思う。
私の中では役者の心を守ることといい演劇業界を作ることは直結している。一方で、いい芝居を作ることに直結しているのか。短期的な集中力を上げるには役者の心を守らない方向もあるのかもしれない。でもやりたくない。役者の心を守ることがいい芝居を作ることに直結するはず。直結させたい。直結してるに違いない。そんな思いでやってました。
果たして守れたのか。もっといい守り方があったのでは。などと思いますが、信じる通りにやれたし、具体的に動けたのでよかったと思います。
2025年3月上旬 小屋入り直前
空の雑巾を絞るような気持ちでした。
もうエネルギーなんてない。でも目の前には共演者がいて、チームがいる。
舞台上では共演者からエネルギーをもらって、ただ呼応しただけ。自分の中のエネルギーなんてありませんでした。
周りのエネルギーでなんとか浮かんでいる。
それを「あの役者は疲れている」と取った人もいるようですし「舞台上で生きていた」と取られた部分もあるようです。余計な力が入っていないというか。
舞台上以外でも役割はあるのでそこは、回復したエネルギーをその場で使い切るような感じで動いていました。
「全力を出せた」と言い換えてもいいかもしれません。私の経験、才能、エネルギーを余すところなく使い切ったと思います。
2025年3月13日 仕込み
仕込みは人手がいるものなのですが、スタッフ側からの配慮により役者はほぼ午後入りでOKとなりました。ありがたい。
ただし搬入と、あとスペース・オルタは「ピアノの移動」というパワー仕事があり、私と何人かの役者は朝から。
それが終わるとしばらくやることがないので、衣装のダメージ加工をしてました。
下草や藪で、至近弾で、ボロボロになる加工。
やりながら、どんな気候のところで源は生きていたのかな、などと考えました。
そして役者が入り、場当たり。仕込み日はそれで解散。
2025年3月14日 初日
ゲネをやって、初日。
記憶がもうありません。
毎回、挑戦ができたなという感想はあります。
もうチームリーダーとしてではなく、ひとりの役者としてのウエイトを上げた気がします。
かといってリーダーシップを放棄するわけでもなく、「ひとりの役者としてのリーダーシップ」を発揮できたようにも思います。
他者の評価がどうかは分かりませんが。
1ステージ目。
自由にやれたと思います。晴伽が毎回、最高の芝居をしてくれるので、すごく乗っかりやすい。
ガス欠だった私を浮かべてくれたのは、晴伽の芝居によるところが大きいと思います。
ラストシーンの後、カーテンコールで涙を流している人を何人も見て、ああ、いい芝居できたんだなあ、と思いました。
2025年3月15日 二日目
2ステージ目。
自信を持って、でも昨日をなぞらないように、舞台上でひたすら生きました。
1ステージ目とは違った突き抜け方ができたと思います。自由でした。
自身としては良かったとは思うのですが、ここで「キャラクターから離れすぎている」という演出指摘が。
ここにきてキャラクターの再構築をするのは大変でしたが、まずは「低く重くしゃべる」だけをやってみようと思いました。
3ステージ目。
キャラクターが変わったことで周りにも多大な影響が出てしまったのですが、お客様の反応も上々で、うまく指摘に対応できたのではないかと思います。
共演者が即座に反応してくれたことで事なきを得たのですが、リスクのあるチャレンジでした。
「あの一瞬でキャラクターをここまで変えて芝居を成立させるとは、さすがプロ!」と褒めていただきました。
これは、これは、本当にうれしいことです。
2025年3月16日 千秋楽
4ステージ目。
昨日のキャラクターを引き継ぎ、かつ自由に生きるという、さらに違ったチャレンジができました。
ステージを重ねると、気が抜けてしまってミスが多発するということもよくあると思うのですが、今回は毎回、チャレンジができたのはすごくよかったと思います。
そして千秋楽。
まさかの靴紐を締め忘れて登場するという凡ミス。ここでやってしまった。
キャラクターもどっちつかずとなり、それを共演者と共有する時間もなく、「ともかくやるしかない」という状態でした。
しかしこれも、周りが前のめりに対応してくれたことがあり、いろいろ交じり合った、さらに新たなチャレンジができたと思います。
全ステージ、新たなチャレンジの連続でした。
これまで積み重ねてきた土台の上で、力を抜いて遊べたのではないかと思います。
やはりインプロ(クラウン含む)で培った、「オープンで居る」「影響を素直に受け取って自分が変化する」という姿で在り続けられたのは良かったと思います。
2025年3月下旬 終演後
もはや記憶がありません。何をしてたのか。
仕事は行きました。家族とも過ごしました。飲みに行ったりもしました。
でもずっと疲れてました。必要な時だけ元気に動く。それ以外は無気力に居ました。やっぱり、全力を出せたんだなあと思います。
終えてみて
演出・演技指導・準主役の役者というポジションで呼んでいただいたことに対して、なんとか貢献できたのだろうと思います。
やってみた感触と、その後の主宰との会話でもそう感じました。
「プロとして作品づくりをリードしてくれ」という依頼に、精いっぱい応えられたというのは、すごくよい経験であり自身になります。
役者のみんな
スタッフも含めて全員ひとこと御礼を申し上げたいところですが、スタッフについては私がぜんぜん見えてないところもあるし、役者にひとこと御礼を。
ゆずくん。圧倒的最年少。序盤は恥ずかしがっていたこともあった。どこまで待つか、どこで緩めるか、いろいろ考えた。
正解だったのかどうかは分からない。けれど、通し稽古になれば必ずやり切ったし、劇場入りしてからは他の人のフォローもやり始めた。
届けるセリフは、他の追随を許さないほどに透き通っていました。
ゆうぎりさん。我らが主宰。
「演劇をやりたい!」が原動力の人だなと思った。
その思いだけで2回、座組のトップとして、主役として動き続けた。
思いがあって、行動できる人の元に人は集まる。
役者として、演出として呼んでくれてありがとうございました。
しゅんすけ。ワークショップでも受講参加者として居てくれて、「演劇をやりたい」という気持ちが伝わってきた。
フィードバックしたらすぐ活かす、遊べる、そんなところが周りを鼓舞したのではないかと思います。
もこさん。かっこよくてやわらかいという最高の大人。
そんな人に、「ヤーゼと会えたことが幸せ」と言ってもらえるのは幸せでしかありません。
すごくうれしかったです。すごく自信になりました。ありがとうございました。
まゆ。役者をやらないかも、と聞いてたけど、やれてる姿を見れてよかった。
突如増えた台本にも完璧に対応し、ユーモアを忘れず、主宰の腹心として立ち回る姿はたのもしかった。
他の役者の苦手なところを見て「自分でやれ」ではなく「自分ならどう助けられるか」を考えてくれたし、豊富な経験からすぐ実行に移してくれたし。
歴史ある劇団の代表経験もあるからか、本当に頼りになりました。
まこっちゃん。クラウン。
私とはまったく違う演技の体系を持つ。
チームを鼓舞しつづけ、おもしろくしつづける姿は、人を照らし続ける無限の回路に見えます。
衣装の加工グッズをそろえて貸してくれるなど、本当にありがたかった。いろいろ使いまくってスイマセン。助かりました。
くらげ。聡明な人だなあと思います。
いわゆる「頭の回転が速い人」だと思います。
ごく短時間で本質をつかみ、もっとも適切な解を思いつき、それをすぐ行動に出せる人。
稽古場で私が「どうにかせんとなあ」と思っていたら、すぐに解を出してくれたので本当に助かりました。
くまこさん。おもろい人だなと思います。
舞台上での在り方がおもしろくて、さらけ出すような演技は、何をやるか分かってるのに毎回笑ってしまいました。
前回公演では「くまコーデ」と言われるぐらいファッションが美しく、素敵だなと思います。
きぐちゃん。人脈の鬼。
なんか知らないが必要そうな人をどんどん集めてくる。四次元ポケットから人を召喚しているかのよう。
作品の指針を出し続けるというのは簡単ではないことだと思うけど、バランスを見ながら判断しつづけるのはすごいと思います。
かなりん。最初に会った時から思ったけど声がいい。
毎回、同じところで必ず気合の入った演技を、何度繰り返してもやってくれる。そういう信頼感があります。
あと、常にユーモアがあって、ふざけあえる人だなあと思います。
ひでちゃん。演劇を楽しんでくれたなあと思います。
終盤に向かうにつれて、楽しむ気合が強化されていき、本番では突き抜けた楽しむ姿を見せたと思います。
「栄作です。相馬栄作」は声に出して読みたい日本語ですね。そう思わせたのはひでちゃんの芝居だと思います。
じゅぴちゃん。とにかく盛り上げる。チームに対する気遣いがすごい。なんかいっぱい食べさせてもらいました。
「どうすればいいか」で悩むことが多かったように思います。そして、私のコーチングは「何もしようとしなくていいから舞台上に居てください」という、苦手な分野だったかもしれません。
しかし、それでもなんとかやってみる、というトライをしてくれたのはうれしかったです。「ウソモホウベン」というテーマのセリフが、あんなにもきれいに染み渡るのはすごいと思いました。
はるか。もともと知っていた人ではあるのですがこの稽古場で印象がどんどん変わっていきました。
最初は「芝居ができる頼れるやつ」だったのですが、周りを鼓舞し、具体的に周りに働きかけ、シアターゲームを提案し、チームの実力と気合を上げ続ける姿は、もう「将」だと思いました。
私がやるつもりだった「将」をやってもらったので、全体のマネジメントや進行に集中することができました。縦横無尽の大活躍。ありがとうございました。
アイルちゃん。演劇出演は前回公演につづいて、人生で2回目、のはず。
印象的だったのは稽古中に、役の感情が自分に影響して、シーン後にも影響が残ったこと。
これは安全とは言えない状況だったと思うので対策しましたが、ともかくそこまで真剣に役について考え、コミットしたのはすごいことだと思います。
稽古日誌をすべて担当してもらったのですが、毎回、読むだけで心が穏やかになる。そんな日誌を毎回書いてくれました。何度も救われました。
みんなみんな、ありがとうございました。
おかげさまで今回も、いい芝居ができました。
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