「感情コントロール」という言葉の違和感 ~ 演劇教育ナレッジフォーラム2ndシーズン ~

May 4, 2021

flyer

2021年5月16日(日)10時~12時30分で、演劇教育ナレッジフォーラムをオンライン開催する。

今回のテーマは「EQ(感情知能)を体感する時間 ~感情から表現へ~」。

申し込みは→こちら←

もともとの企画の動機は「EQはなんだか演劇教育に重要っぽいが、なんだかよくわからないし、EQが意図することからすると不本意な解釈が世の中にいっぱいありそうだし、ここらで講義を受けてみたい」だった。今でも同じ気持ちだが、「感情」を扱うものはなんだか怖いな、というのをここ最近思っている。

というのは「感情コントロール」みたいな売り文句でいっぱい本なりセミナーなりがあって、自分が触れたものはどれも有用なものだなと思ったけど、やっぱり怖い。

それは、口では「感情は大切なので、認めてあげましょう」と言っているが、その目的は「感情を殺せ」と言っているように思えるから。(ここで具体的な例を出すべきだが、整理できてない上に整理したとしても批判になってしまうのでサボります)

社会でやっていくには自分の感情だけではどうしようもなくて、他者の感情を知って、自分の感情も知ってもらって、利益相反が起こる場合は勝負または妥協、理想的には共存(止揚?)できればいい。そのためにどうすればいいかを考え抜かれて作られたのが「感情コントロール」だろう。

それはそれでいい。っていうかそうしないと社会が成り立たない。なので大いにみんなで勉強したり実践したりすべきだ。

でも怖い。

俺の感情はなかったことになるのか?

感情コントロールの講師からすると「いや、そういう話じゃない」と言ってくれると思う。そうだと思う。でも怖い。俺の感情はなかったことになるのか? という疑念は消えない。

これはおそらく、俺が自分の気に入るものじゃないと認めないという独善的なものから来ているのだろう。

だとしても怖いものは怖いのだ。

社会がなければ人は生きられない(ような気がする)。なので、社会を成り立たせることを重要視すべきである。個人のことは個人で、自己責任で。

いーやーだー。

なんと幼稚な感情だろうか。自分でも引く。40歳、妻と子ども2人を持つ、カタい会社員の発言とは思えない。

※ 立場的にカタいだけで、俺のことをカタいと思ってる人はあんまりいないんじゃないかと推測するが

この「いーやーだー」を、まずは出せるようにしてはどうだろう、と思う。

インプロの現場ではそういうことをいっぱい教えてもらったし、自分自身もだいぶ出せた。自分の作品では「いーやーだー」をエネルギー源とする作品をいっぱい表現できた。見るに堪えないものもいっぱいできた。おかげで精神的にどんどん健康になってきた気がする。体調がよい時で、意識すれば、マジで他者の幸せのために行動できることも増えてきた。(まだまだまだまだだけど。ちなみに、この「まだ」の4回繰り返しは、自分が塾講師をしてたときに会心の出来の授業を見学してた先輩講師が言い放った言葉だ。妙に印象に残っている。本質を突かれたようで納得してしまった)

そう、だから、感情ってコントロールすることが社会に求められてるんだけど、俺個人としてはコントロールするのが嫌なのだ。幼稚! でもこれが望み。

コントロールばかりしてつぶれて、逆に社会の足を引っ張ってしまった時期もあるので、逆にコントロールを手放せる領域を確保して息抜きして、コントロールの社会に関わり続けられればそれでいいはずだ。

何も、社会全体がカオスになるべきだと思うわけではない。コントロールを手放せる場所・時間がもうちょい増えるといいと思っている。

繰り返すがそういうことをインプロ・演劇で教えてもらったし、周りにもそれを提供していきたい。それもあって演劇教育に関わっているし、演劇教育関係者のつながりの場である「演劇教育ナレッジフォーラム」の世話人として活動している。隔月ぐらいのペースでオンラインで、毎回テーマを変えて開いている。

で、今回のテーマはEQ

感情について真剣に考え抜かれてできた体系だと思う。

何度かEQのワークに参加してみた感想は、正直、「なんじゃこりゃ」である。

何の理論もロジックも知識も与えてくれない。

誰かの話を聞いたり、自分の話をちょっとしたりするだけ。

もちろんテーマは感情に関することだが、どうしたらいいか、みたいなものは与えてくれない。

それでも、感情について真面目に取り組み、押しつけがましいものがまったくない場に自分を置くことは、自分自身や他人の精神の健康のために有意義だと思っている。

自分がいろいろ意見をいただいた教育会社の方々がもし受講したとしたら「価値が曖昧」とバッサリ斬り捨てるだろう。たしかに、まだ言語化できる部分があるかもしれない。

しかしどうも、EQのワークでは、状態を言語化するのは奨励されているが、なにがしかの解決策を言語化するのは奨励していないように思える。むしろ、言語化してそれ以上考えるのをやめてしまうのを止めたがってるように思える。

その中で、無理にでも今回のEQの価値を言語化すると「自分の感情を思い起こすことと、他者の言語化された感情を組み合わせることで、自分の感情がそんなに不健康なものではないと自信をつけられること。※ただし、感情は刻一刻と移り変わるため、継続的・定期的な実践が望ましい」かな。

うーん、よくわからん! 毎回、宣伝するときに怪しい感じに自分でも思ってしまうので、どうもそのあたりが辛い。

こういうのを説明するとき、シソンヌのじろうさんみたいにユーモアもって言えたらいい気がする。

(例。書いてみてそんなにおもしろくなかったので、読み飛ばしてください)

あー、どもども、はじめましてっちゃん。あ、いや、おれてっちゃんじゃないけどw。座って座って。はい、どもー。きみの友達の、あの、みっちゃん? みっちゃんからの紹介で、テツオって言います。

・・・

・・・・・

てっちゃんだ!

はっはっは。いや、笑っちゃったね。抑えられないんだよね、楽しくって。あ、何飲む? クリームソーダ? チョイス! いいね。あ、すいません、クリームソーダふたつで。はっはっは。いや、笑っちゃったね。抑えられないんだよね、楽しくって。そうそう、自分の感情って思い通りにならないこと、ある?

・・・

・・・・・

あるよね! ほら俺、笑っちゃってるし。え、あれ、おもしろくない、おもしろくない? あ、ごめん、なんだかつらかったんだね。えっ、涙!? ウワオ! ごめん俺別にアメリカ人じゃないんだけど、ウワオ! 言っちゃうね。この音って人類が発する音として、合ってんだね。え、で? ああごめん、どうしたの? うん、、、いいよ。詳しいことはこっそり聞かせて。うん、うん、、、アウーッ! ごめん俺別にマイケルジャクソンじゃないんだけど、アウーッ! 言っちゃうね。この音って人類が発する音として、合ってんだね。え、で? ああごめん、そうなんだ。うん、うん、、、ね。え? どうしたらいいかって? うん、そうだね。ごめん、なんかさ、アドバイスすることじゃないかなって思ってさ、でもさ、ひとつ言えることがあるんなら、ああ、恥ずかしいからこっそり言うね。あのね、、、うわびっくりした! え、何そのアウーッ! って。そうだよね。マイケルジャクソンじゃないよね。でも言っちゃうよね。この音って人類が発する音として、合ってんだね。

(例終)

いかん、ぜんぜん演劇教育やEQの話に踏み込めない。まったく怪しくない話を怪しく話すから面白いんであって、つかみどころのない話を怪しく話すと本当に怪しくなる。というかそもそも例として成り立っていない。

さあ、ここまで読んで興味を持たれた方は、ぜひご参加ください。(自滅しただけのような気がする)

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