観劇:親の顔が見たい
Aug 23, 2019
Art-loving「親の顔が見たい」(@川崎ラゾーナプラザソル)観て、アフタートーク進行した。
私は小学校で長くいじめを受け、それからもちょいちょい受け、パワハラじゃないかこれ、みたいな現象を社会人の間でもよく見るし自分もちょいちょい受けてきた。
この芝居は、いじめをテーマにしている。
観た後、感情的になってしまったが、アフタートーク司会ということもあり、ファシリテーションになるべく集中するようにした。
それでも感情的になって、見苦しいところは見せたと思う。
逆に、その感情的な面、観た人の語りを聞きたいという声もアフタートーク後にいただいた。感情的に振ってもよかったのかもしれない。
いずれにせよ、非常に揺さぶられた芝居だった。
ネタバレも含む、感想を書き留めておく。
公式サイトには 「畑澤聖悟が社会的課題を痛烈に描く一幕の対話劇。演出家まんぼと現役教師、俳優達が真正面から挑み、社会に切り込む!!」 とある。場面転換なしの1時間55分。
場面は、とある中学校の進路指導室。「真理」「友愛」という言葉が掲げられている。
歴史ある、由緒正しい、学費の高い学校。
中学生は一人も出てこない。
親、教師を中心とした大人たちの芝居。
進路指導室に集められた、中学生の保護者8名。
教師から、ひとりの女子生徒が自殺したこと、遺書のようなものがあることを知らされる。
遺書には、その保護者たちの子供が自殺した生徒をいじめていたと取れる文面が書かれている。
保護者たちは自分の子供がいじめに加担したことを認めない。学校側も騒ぎを大きくしたくない。そして「いじめなど存在しない。遺書など存在しない」というトーンで話しを進めていく。
しかし、次々と明らかになる情報に、認めざるを得なくなる。
ここで印象的なのは、勧善懲悪モノではないということ。
いじめた側が悪い、だから報いを受けるべき、というメッセージは読み取れない。
だからといって、いじめられる側が悪い、ということでもない。
いじめは起こる。そのせいで自殺も起こる。起こったら、きっとこうなる。そういう例を見せられた気分。
そして、いじめの主犯格、みたいな位置付けの人間も読み取れない。
というか、もしかしたらそんなものないのかもしれない。
たとえ主犯格がいたとして、その人に謝罪させ、反省文を書かせたとして、それでいじめはなくなるのか。
「いじめがエスカレートしたタイミングの一つが、道徳の授業の後であった」(*1)という話もあるぐらいなので、「いじめはいけません」と言っただけでは効果は見られず、むしろ逆効果なのかもしれない。
遺書からは「私が悪いようです。だから謝りました。でも許してもらえませんでした」という意味のことが書かれていた。
いわゆる洗脳状態にあったのだろう、と思った。
私も精神疾患になりつつあるとき、なったとき、療養中のとき、回復してからしばらく、常に同種の思いがあった。結局自分が悪いのだ、と結論づけて、いなくなったほうがよいのではということを常に思っていた。ひどいときは5分に1回ぐらい考えていたように思う。
いじめがなぜ起こったのか、この芝居で全容は明らかにされない。
きっと現実でもそうだろう。
すべてを明らかにして、原因を突き止め、再発防止をする、なんてことができるのか。
すべてを明らかにするのは現実的ではないと思う。
それでも、いじめについて、考え続けることが、よりひどい現象を起こしづらい世の中になっていくのだろうと思う。
関係ないかもしれないが、この芝居はセーフティネットとしての意味もあるのかもしれないと思った。
いじめた側が悪い、いじめられた側が悪い、ではない。
いじめに関わった人たちがいじめをなかったことにするのではなく、そこにあった、と印象づけられる。
いじめと向き合うことができる。
これがセーフティ(安全)かと言われればそうでもないのかもしれないが、虚構の世界として、でも生身の人間が演じることで、いじめに関わった人は糾弾されることなく向き合いやすくするのではないかと思った。
当日パンフレットには 「現役学校教師の皆さん7名ご出演をお願いした。日本一多忙と言われる現役教師が夏休み返上で、敢えてこういった作品に真正面から向き合い、格闘しながら演じてくださる。それだけでも胸がいっぱいだ」 とある。
忙しい中でがんばる、というのが美談になるとまた問題だが、それでも教師の皆様がこの芝居に取り組んでくださるというのは、希望が見える想いがした。
どん底かもしれないが、その中でぬいぐるみの好みを言えるぐらいの、なんだかよくわからない光があって本当によかった。
そうおもった。
*1 いじめを生む教室、荻上チキ、PHP新書1150、P.78
2019/09/28追記。
アフタートーク進行として、はじめて起用してもらった。 写真が、超かっこいいので載せておきたい。
知的に見えて、とてもうれしい。
さて、だいぶ時間が経っているが、アフタートークについて振り返りを。
- よかった点
- 時間を守った
- これが筆頭のよかったところ。盛り上がっていたし、物足りない感もあったけど、20分と宣言しているのだからむやみに延長しなかった。これはトーストマスターズで鍛えられた点だと思う。
- 司会の人格を出せた
- よかったのか悪かったのか微妙だが、この作品を観て揺さぶられた自分の感情を、そのまま出せた。「非常に感情的になっている」と開口一番に言えたことで、お客様の共感を掴んだように思った。
- 全員に発言を振れた
- アフタートーク参加者が私を含めて6名いた。それで20分なので、ひとり3分程度の持ち時間しかない。これを最大限活用できたと思う。それぞれのキャストの思い、役としての、演出家としての思いも聞けた。
- 時間を守った
- よくなかった点
- キャスト紹介に遅れが出たこと
- 司会進行である以上、「◯◯役の◯◯さん、いかがですか」のような振り方が適切だったと思う。が、感情的になっていたこともあって、しかも、もともと知り合いだった方も多くいらっしゃったので、自分にはわかるけど観客にはわからない振り方を序盤やってしまった。途中で持ち直したが、序盤の方には失礼なことをしてしまった。
- 今一歩、踏み込みの足りない議論だったかもしれない
- 「いじめをしてしまう側の心理」について触れた。時間がなくて2周目に行けなかったということもあるが、20分しかないのでそもそも1周しか行けないことは予想はついたと思う。全員に振る形式がよかったのかどうか分からないが、作品を観たあとで、さらに心を震わせる、そんな議論に近づければよかったかもしれない。そこは私のこだわりで、観客はどちらでもよかったかもしれない。
- キャスト紹介に遅れが出たこと
ともかく、いい機会をいただいた。
ありがたい話だ。
帰り道にロードバイクがタイヤ交換が必要なほどにパンクし、いただいたギャラをすぐさま突っ込む羽目になったのは残念だったが、それも含めて印象強い日だった。
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